きっかけはわりと単純で,1999年にハワイ島でとあるミーティングがあったとき,女房とぶらりと立ち寄ったベイにシュノーケル3点セットのレンタル屋があったのがまず第一。全くの軽い気持ちで借りたのに,大小のカラフルな熱帯魚と大きなウミガメが目の前に。これでまずはまった。女房はほとんど金づちなのに,きれいだからちょっと騙されたと思って見ておいでよ,と一式渡したら,1時間戻ってこなかった。本当に沈んだのかと思った。次はオーストラリア。今度は少し本気でシュノーケリングに出かけたのだが,もう口アングリの色とりどりの魚がすぐそこにいるのに,近づけないフラストレーション。もっと近くに行けたらいいのになぁ。
決断は速かった。ダイビングの雑誌を買って家の近くにこじんまりしたショップがあるのを見つけ,訪問してオーナーの高橋さん夫妻の勧誘にまんまと引き込まれる。でも,泳ぎもあまり得意じゃないし,こんな年から始めて大丈夫ですかね?という問いに対する答は,大丈夫ですよ!ダイビングって海の中で無重力みたいな感じでプカプカ浮いてるだけですからね。全然体力もいらないし,いくつになっても楽しめますよ!(大嘘だったことはいずれ身にしみる)。ライセンス(Cカード)取得の講習を申し込んだのはその日のうち。実際に講習を受けるころには器材もドライスーツも購入していて(この辺がすぐに熱くなる証拠),いよいよ海洋講習(オープンウォーターという)を受けたのは忘れもしない2001年12月22日の伊豆大瀬崎。私の49歳の誕生日であった。凍えるほど寒い日であったが,駿河湾の向こうに聳える富士山が何と優美であったことか。大瀬崎は,ダイバーなら知らない人はいない名ポイントである。湾内はいつも穏やかで,砂浜から緩やかな傾斜でエントリーでき,5 mくらいの深度からちょっとしたドロップオフがあって,その先また穏やかな砂地がどこまでも続いている。
息子とほとんど年が違わないインストラクター(浜ちゃんと言ってその後ずっとお世話になる)に手取り足取り指導を受けた。もちろん初めての海での潜水だったから,緊張していたことはこの上ないが,ふと気がつくと回りには無数の魚の群れ。ダイビングのあとは必ずログブックに記録を残すのだが,この処女ダイブの日に見た魚は,一番感動が残っているようだ。何と40種もの名前を記録しているが,印象に残ったのはソラスズメダイ,スズメダイ,クロホシイシモチ,ネンブツダイ,キンギョハナダイ,キビナゴの大群,クロダイ,ツノダシ,タカノハダイ,アオヤガラ,メジナ,メバル,カサゴ...といったところだろうか。いずれも伊豆の海では年中見られるものだが,この寒い海にこれほど群れているとはただただ見とれるばかりであった。大瀬崎は初心者がデビューするダイブ地として有名であるが,半島の先端やさらに外側にはまた違うおもしろさがあり,中上級者にとっても魅力の尽きないポイントである。台風の接近などでうねりが出ても,大瀬崎ならまず確実に潜れるので勢いここに繰り返し通うことになった。
一人前に潜れるようになるにはある程度の経験を積む必要があるので,まずは月1回潜ることを目標にし,真冬から春にかけて一番海が冷たい時期にせっせと伊豆に通った。海の水温は陸の気温より大体2,3ヶ月遅れで変動するので,3月4月くらいが一番冷たいのであるが,何せ始めたのが冬至の日であるから,海に潜るってこんなもんなんだろうと思い,北国育ちのおかげもあってか寒さを苦にせずせっせと通い詰めた。海はいつも限りなく透明で,人も少なく,インストラクターもいつもほとんどつきっきりで親切に教えてくれたが,今になって考えてみると,あれは完全にダイビングのシーズンオフであった。
さて,こんなことを冗長に書いていると読んでいる方は飽きてくるだろうから,あとは写真を見ていただこう。ある程度潜れるようになってから,デジカメの水中ハウジングを入手し,海の中で写真を撮ることも大きな楽しみになったが,何せ安物のデジカメなので,よほどよい条件じゃないとなかなかこれはというものが撮れない。それでもきれいな魚や大物の魚を見ると思わず興奮して写真をたくさん撮るので,すぐにエアを消費し,チームの中でいつも人一倍早く浮上しなくてはならないはめに陥ることが多かった。最近になってようやくあまり興奮せずに写真を撮れるようになってきた気がする。詳しい説明はつけずにいくつか載せるが,色鮮やかな写真は南の島で潜ったときのものが多い。