ミーハースポーツ放浪記

 趣味といってもいろいろあろうが,私は基本的に身体を動かすことが好きらしく,これまでに少々本気でやったもの,というと,スキー,テニス,オートバイ,ベ平連のデモ,車,ダイビング,蕎麦打ち,とスポーツ系が多いようである。デモと蕎麦打ちはスポーツとは呼ばないかもしれないが,結構な汗はかく。スポーツを楽しむ方は少なくないだろうが,私のははっきり言ってミーハースポーツである。趣味の欄にスキー・テニスと書くだけで,ミーハー系ですね!と言われてしまう。野球やサッカーなど,スポ根系も見るのは大好きなのだが,どうもチームプレーは向かないらしく,のめるところまで行ったことがない。さて,このミーハースポーツであるが,実はそんなに軟弱なものではない。北海道に生まれ育ち,また父が名だたるスキー狂だったものだから,1歳で立つと同時にスキー板をはかされ,星飛雄馬のように厳しい訓練を受けたものである。15歳で東京にやってきたが,それでも冬の間は雪の上での訓練を欠かさず,20代の前半ではかなり真剣にSAJ(全日本スキー連盟のこと)のデモンストレーターへの道を考えていた。大火傷で挫折することがなければ,永田さん同様に二足のわらじを履いていたかもしれない。一方テニスの方も,高校では軟庭部で典型的な体育会系の毎日に追われ,大学に入って硬庭に転向したものの,およそ優雅なファッションテニスとはほど遠いものであった。

 でスキーだが,25歳で学生結婚し,女房に食わせてもらうヒモ生活をしながらもスキーはやめないやめられない,と宣言し,頭の中の特等席はまずスキーのこと,というとんでもない態度がしばらく続いた。就職して少し仕事がおもしろくなってきても,子供ができて家庭の責任が重くなっても,スキーは自分の人生とうそぶき,デモンストレーターへの道はちょっと難しいかもと気づいても,これがあるからいい研究ができるのさ,などと本気で考えていた。

 そんなある日,女房が,真剣な顔でちょっと話があると言う。曰く,「世の中に仕事と家庭をちゃんと両立している人はいる。でも,仕事と家庭とスキーと3つというのは多すぎると思う。どれか1つ止めて」と。それでスキーはきっぱりあきらめた。潔いでしょ?だってほかに選択肢はなかった。冬の間中菅平に住んで,平日だけ東京に戻ってくるような生活をしていたのに,よく止められたな,という人がいるけれど,未練を残すのは美しくない。でも,実は15年のブランクのあと,また復活したのですよ。長野オリンピックをTVで観ていて,血が騒いでどうしようもなくなった。もう子供たちも大きくなったし,家にそんなに迷惑かけないから行ってもいいかな。どうぞ。ってなわけで,大好きな八方で再デビューを果たし,今では年に2,3回はどこかに滑りに行かせてもらっている。

 さて,ちっともダイビングの話にならないではないか。内容はともかく,きれいなお魚さんの写真をたくさん載せてください,というのが吉森さんとの約束である。本論に入ろう。

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